Story-7 「決闘宇刈川」

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丹吉は腹に刺さった竹槍を抜こうとした。手が滑る。抜けない。
「地獄に落ちやがれ」
背中を斬られた。
「源吉、てめえらなんで戻ってこねえ」
「くわぁ」と吠えて丹吉は長ドスを振り回す。届かない。
「食らえや」
平太郎の突きだした出刃包丁が丹吉の喉を裂く。丹吉は力尽きて草むらに倒れた。
話は変わる。丹吉の親分、藤左衛門は任侠の徒である。明治16年に堀越に移り住んだ。慶応二年藤左衛門38歳の頃、富士川で清水の次郎長と黒駒の勝蔵が争い次郎長は散々に負け伊勢に逃げた。この時、次郎長に加勢したのが見附の友蔵である。怒りに燃えた勝蔵は
「見附の町に火を放ち、友蔵を焼き殺す。手伝え」
義兄弟を交わした藤左衛門に迫るが
「罪なき見附の人に非道はできねえ」
と義兄弟の縁を切って断った。これが元で次郎長と杯を交わす仲となった人物である。
さて、博徒の縄張り争いに端を発し明治19年、中泉の平太郎は黒駒の健次郎を要に据え二刀流の使い手謙太郎を助っ人に手下17人を連れ、堀越藤左衛門の屋敷に殴り込みをかけた。堀越方は藤左衛門を屋敷に残し、浅羽の百蔵を大将に新居の源吉、火の玉林蔵、暴れ丹吉他18名でこれを迎え撃つべく堀越に集結。彼らが激突したのは現在の袋井市堀越の磐田用水の橋を渡った辺り久の向かいである。両者にらみ合い緊迫の時が過ぎていく。
「臆したか。堀越の。かかってこいや」
業を煮やした二刀流の謙太郎が両刀を手に敵側に向け走った。
ボン。
火花と白煙が立ち上る。謙太郎は腹を撃ち抜かれ白目を向いて川に落ちた。堀越方の放った火縄銃が命中したのである。
「やりやがったな」
憤怒の形相で平太郎が堀越方に突進。堀越方は恐れをなして体制を崩した。その顔はこの世の者とは思えぬほど怖かった。
「こら、てめえら何故逃げる。火縄があるのはこっちじゃねえか」
堀越方の丹吉は一人踏みとどまった。
「おい、戻れ」
絶叫したが既に手遅れ。敵陣の真ん中にいた。「遠州の暴れん坊」と異名をとった丹吉はその生涯を終えたのである。
この後、仲介人が入り双方一人の被害者を出して争いは終結した。堀越と中泉の侠客博徒は一堂に会し盛大な手打ち式をして収まったと郷土史に残っている。
これを機に双方の親分は隠居。堀越藤左衛門は犠牲者を憐れみ地蔵尊を建てた。地蔵尊は今も宇刈川堤防添いの畑の一角にひっそりと佇んでいる。

<ショウゴ>




 
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